昌原郷校 (昌原市(チャンウォンし))

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昌原郷校は高麗の忠烈王2年(1276年)に創建されたといわれるが明らかではない。昌原郡誌の記録には建立時期が朝鮮の上期と記されている。昌原郷校は最初は召沓洞に創建されてから、1705年2月に府使シン・ミョンシク公と都監パク・テユンによって現合城洞ネサン里の??龍山の下に移建されたが、その下の地勢が崇武の地で文の地ではない、ということで1749年に府使イ・ユンドクによってテウル山の下の現在の位置に移され、1761年副使イム・イックチァンによって風化樓が創建されたと伝えられている。

郷校の入口に府使イ・ユンドク吏校不忘碑と郷校の下に副使イム・イクチァンの風化樓創建碑がそれぞれ建てられている。昌原郷校は大成殿、東西ム、明倫堂、東西斎、風化樓から成っている。特に単層の切妻屋根の大成殿には孔子、顔子、増子、子思、孟子等の五聖位と孔門十哲と宋朝賢を、東西ムには朝鮮の18賢を奉り、毎年2月と8月に上丁日(陰暦で毎月最初の丁の日)を決めて釈奠祭を行っている。1974年12月28日に大成殿が地方有形文化財の第135号に指定され、昌原郷校には成均館儒道会の慶尚南道本部昌原市支部が設置されている。
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経緯度:   35°16'3"N   128°37'24"E
この記事は 17 年前に更新されました