セバストーポリ

Ukraine / Sevastopol /
 都市, 第一級行政区画, (境界線のみ表示), hero city - Soviet honorary title (en)

セヴァストポリ(ウクライナ語:Севастопольセヴァストーポリ;ロシア語:Севастопольセヴァストーポリ;ラテン文字転写の例:Sevastópol')は、人口360,000人の、黒海に面したクリミア半島に位置するウクライナの都市である。
以前は、ソビエト連邦の黒海艦隊の基地であったが、現在はロシア連邦の海軍基地になっており、ウクライナ海軍の司令部も置かれている。また、リゾート地や観光地としても有名である。
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経緯度:   44°36'51"N   33°39'9"E
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コメント

  • 古代この地にはボスポロス王国の都市ケルソネソス(ケルソン)があり、6世紀に東ローマ帝国(ビザンツ帝国)の統治下になった後も東ローマ帝国のクリミア半島における統治の拠点、ハザールやキエフ大公国などとの交易拠点としてテマ(軍管区)が置かれ、12世紀のコムネノス王朝時代まで東ローマの領土であった。 12世紀後半に東ローマが衰退すると、その後はモンゴル人のキプチャク・ハン国(ジョチ・ウルス)、その後裔のクリミア・ハン国などの支配下にあったが、1783年、ロシア帝国がクリミア半島を併合した際、一緒に組み込まれた。その後、重要な海軍基地、商業港として発展してきた。 1853年からのクリミア戦争では、同地を拠点とする黒海艦隊がシノープの海戦でオスマン帝国の艦隊を撃破するなどの戦果を挙げたが、1854年にオスマン帝国と同盟を結んで参戦してきたイギリスとフランスがオーストリアの妨害工作により攻略目標をオデッサからセヴァストーポリに変更。ロシア軍は英仏艦隊の侵入を阻止するために黒海艦隊を湾内に自沈させ、市街地全体に防塁を敷き詰めて要塞化したが、長期にわたる包囲戦の末にナヒーモフ提督やコルニーロフ大佐も戦死し、1855年9月に放棄を決定。後にパリで開かれた講和会議でカルス要塞と引き換えに返還された。 第二次世界大戦時、要塞化された同地に対してドイツ軍は80cm列車砲「ドーラ」、カール自走臼砲などを用いて攻略、占領したが、その後赤軍の反撃によりセヴァストポリはソ連へ取り戻された。(セヴァストポリの戦い) ソビエト連邦の時代には、ウクライナ・ソビエト社会主義共和国内のクリミア州の一部としてではなく、キエフの直轄下に置かれ、外国人の立ち入りを固く規制する閉鎖都市だった。
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