副提督ステパン・マカロフ記念碑 (ウラジオストク)

Russia / Primorje / Vladivostok / ウラジオストク
 戦没者​慰霊施設, object of cultural heritage of regional importance (Russia) (en)

ステパン・オーシポヴィチ・マカロフ(ロシア語:Степа́н О́сипович Мака́ровスチパーン・オースィパヴィチュ・マカーラフ;ラテン文字転写の例:Stepan Osipovich Makarov、ユリウス暦1848年12月27日(グレゴリオ暦1849年1月8日) - ユリウス暦1904年3月31日(グレゴリオ暦4月13日))は、ロシア帝国の海軍軍人、海洋学者。ロシア帝国海軍中将。ロシア帝国科学アカデミー会員。

石川啄木は、マカロフ戦死の報を聞いて「マカロフ提督追悼の詩」を作り、翌年5月に刊行した処女詩集『あこがれ』に掲載した。この中で啄木は、

君を憶へば、身はこれ敵国の
東海遠き日本の一詩人、
敵乍(なが)らに、苦しき声あげて
高く叫ぶよ、(鬼神も跪(ひざま)づけ、
敵も味方も汝(な)が矛地に伏せて、
マカロフが名に暫しは鎮まれよ。)

ああ偉いなる敗将、軍神の
選びに入れる露西亜の孤英雄、
無情の風はまことに君が身に
まこと無情の翼をひろげき、と。
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経緯度:   43°6'57"N   131°52'37"E
この記事は 10 年前に更新されました