北青郡
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世界 / 朝鮮民主主義人民共和国 /
county (en), 第二級行政区画, (境界線のみ表示)
北青郡(ほくせいぐん)は、朝鮮民主主義人民共和国咸鏡南道に属する郡。
古くは高句麗・渤海・女真に属した。高麗が領域に収めたのち、元の支配下に入り、三撒と呼ばれた。1356年に高麗によって安北千戸防禦所が設置されて北青州、ついで青州と呼ばれるようになった。
朝鮮王朝時代には咸鏡道に属した。1417年、青州を改めて北青と呼ばれるようになった。世宗代に都護府となり、李施愛の乱以後は府に昇格した。
1895年には北青郡となり、1896年以降は咸鏡南道に属した。当時は現在の新浦市・徳城郡などの範囲を含んでいた。日本統治下でも若干の管轄区域の変更があったものの咸鏡南道に属した。
1945年8月15日時点では、北青・新浦・新昌の3邑と11面から構成されていた。北朝鮮成立後の1952年12月に行政区画の再編が行われた。これにより、郡の一部が新浦郡・徳城郡・新昌郡などに分割され、北青面・佳会面・厚昌面の全域と、俗厚面・新北青面・徳城面の各一部が北青郡として構成された(1邑18里)。
1974年には海沿いの新昌郡の廃止に伴い、その一部を編入した。
古くは高句麗・渤海・女真に属した。高麗が領域に収めたのち、元の支配下に入り、三撒と呼ばれた。1356年に高麗によって安北千戸防禦所が設置されて北青州、ついで青州と呼ばれるようになった。
朝鮮王朝時代には咸鏡道に属した。1417年、青州を改めて北青と呼ばれるようになった。世宗代に都護府となり、李施愛の乱以後は府に昇格した。
1895年には北青郡となり、1896年以降は咸鏡南道に属した。当時は現在の新浦市・徳城郡などの範囲を含んでいた。日本統治下でも若干の管轄区域の変更があったものの咸鏡南道に属した。
1945年8月15日時点では、北青・新浦・新昌の3邑と11面から構成されていた。北朝鮮成立後の1952年12月に行政区画の再編が行われた。これにより、郡の一部が新浦郡・徳城郡・新昌郡などに分割され、北青面・佳会面・厚昌面の全域と、俗厚面・新北青面・徳城面の各一部が北青郡として構成された(1邑18里)。
1974年には海沿いの新昌郡の廃止に伴い、その一部を編入した。
ウィキペディアの記事: http://ja.wikipedia.org/wiki/北青郡
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経緯度: 40°9'48"N 128°22'30"E